塾長との出会い
あけましておめでとうございます。
松の内も過ぎ、明日から3学期が始まりますね。
月曜担当渡辺真紀です。
年末年始の長い休みは家族が揃う時間が多くなるので、悩み事やモヤモヤが増えることが多いようで・・・。
ご相談やモヤモヤをクリアしたい方からのメールをちらほらいただきました。
私もそんな時を過ごしたことがあるので、お気持ちよくわかります。
今年はあなたにとって自分史上最高にいい年になりますように。
さて、昨年に引き続き私が花咲先生になるまでの話を。
今回は花咲塾の天野光加塾長に出会った経緯をお話ししたいと思います。
私は夫婦の気持ちのすれ違いやモラハラ、暴言、そして浮気などが重なって、自分では未来が見えなくなってどうにもならなくなり、このままでは私は病気になってしまうと思い、カウンセリングを受けられるところ探しを始めました。
離婚カウンセラー、夫婦問題カウンセラー、夫婦修復カウンセラー、モラハラカウンセラーなどいろいろなカウンセリングとカウンセラーが世の中にあることもその時初めて知りました。
それまで私が想像していたカウンセリングというのは、心療内科で病院の先生にするものだと思っていたので、民間のカウンセリングというものの存在は衝撃でした。
当時の私は義母が言ったことから、こうなったのは夫を大事にしなかった私にすべての原因があると思っていました。
ですから夫を褒めたり感謝したりしながらまずは夫を大切にすることが何より重要だと思っていました。
ですから自分の気持ちを封じ込めたり後回しにしたり、感じないようにしていました。
そして何を言われてもされてもひたすら笑顔で耐えている毎日を過ごしていました。
それは辛い毎日で、体重はあっという間に7キロほど落ちていました。
近くにいた夫はそんなことにすら気がついていなかったでしょうが、私はもう限界でした。
毎日朝から晩まで、寝ることもできず、文字どおり24時間自分のことを責めるだけだった私が衝撃的なブログに出会ったのです。
「自分のことも大事にする」という内容の光加さんのブログです。
それはとても衝撃的だったのを覚えています。
そしてとても救われて、ホッとしたのでした。
光加さんのブログに出会うまでは
ダメな妻な私が、どうやったら離婚しなくて済むのか?
夫が私とやり直す気持ちになるなんて贅沢な願いなんではないか?
私にはそんな資格はないのではないか?
そんなことばかり考えていたので、光加さんの一言は本当に暗闇に光がさしたような、そんな気になりました。
この人に会いたい。
この人に相談したい。
そして、意を決して私は光加さんに会いにいきました。
当時まだ2歳だった末息子を抱いて。
当時、私は自由になるお金というのがほとんどなかったのですが、欲しい服があると嘘をついてふるさとに一人で暮らす実父に新幹線代とカウンセリング代を借りて、行きました。
予約していた日の朝、子供達が学校に行った後すぐに新幹線に飛び乗って名古屋に向かいました。
静岡から名古屋という約100キロという距離は、乳幼児を抱えるママにはとても遠い場所なのではないでしょうか。
当時の私にとっても名古屋はとても遠かったです。
でも、それだけ本気で自分の大切なものを取り戻したかったのでした。
ピンボケだけど当時の私です。
この末っ子を抱っこしてマンションの階段を上り下りする時
「し あ わ せ の お も さ」と一段一段言いながら、踏みしめていたことを今でも思い出します。
あの日もそう言いながらマンションの階段を下りて、光加さん(塾長を「塾長」とは当時も今もお呼びしていません。2013年に会ったあの日からずっと「光加さん」とお呼びしています。)に会いにいきました。
あの日がなければ、今の私はいないと言い切れる、大切な出会いです。
あの日からもうすぐ5年になります。